読み終えた後、しばらく動けなかった。
セリフではない。絵でもない。ページをめくる手が、ふと止まる。そこに描かれているのは、刀でも血でもなく、一人の人間の「内側」だった。
漫画という枠を、はみ出した作品
1998年から連載が始まった井上雄彦の『バガボンド』は、宮本武蔵の生涯を描いた作品だ。
原作は吉川英治の『宮本武蔵』。
つまりこれは、実在した人物の物語である。
37巻まで刊行され、2015年以降、連載は止まったままだ。
だが、「未完」という言葉がこれほど似合わない作品もない。
1ページ1ページが、すでに完結している。美術館に飾られるべき絵が、コマの中に収まっている。
週刊連載の漫画という器に、明らかに収まりきらない何かが、この作品には宿っている。
1. 技の漫画ではない。心の漫画だ。
武蔵は強い。圧倒的に強い。しかし、この漫画が描いているのは「どうやって強くなったか」ではない。
「なぜ強くなろうとするのか」だ。
天下無双を目指した男が、剣を極めるほどに気づいていく。強さの先に何があるのか。倒した相手の数だけ、何かが削られていく。
そして辿り着く問いは、剣とはまったく関係のない場所にある。
剣士・武蔵の記録ではない。一人の人間が、生きることの意味を探した軌跡。
2. 実話という「壁」が、この作品を高く
実在の人物を描くということは、読者に「答え合わせ」を許してしまう。史実を知っている読者は、結末を知っている。
それでも、ページをめくる手が止まらない。
なぜか。結末ではなく、その人間がどう感じ、何に迷い、どこで折れそうになったかを描いているからだ。史実はただの骨格に過ぎない。肉を、血を、魂を与えているのは井上雄彦の筆。
実話という高いハードルを、この作品は正面から越えた。いや、ハードルごと持ち上げた。
3. 今こそ、この作品が必要な理由
多様性が叫ばれる時代になった。
人と違うことが肯定される。それは正しいことだし、悪いことではない。
しかし、何かが薄まってきた気がしている。
かつて世界から尊敬されていた日本人の精神性。おもてなし。誠実さ。自分を律する強さ。SNSの普及と多様性の波の中で、それらが「古いもの」として少しずつ流されていく。
バガボンドを読むと、それを思い出す。
武蔵が求めたのは、強さではなかった。真剣に生きること、それだけの男の記録。
海外から称賛されてきた「日本の心」の正体は、案外こういうものだったのかもしれない。
最後に
連載再開を待ち続けて、もう何年になるだろう。
怒りはない。
ただ、待っている。
それだけの作品だから。未完であることすら、この物語の一部のように感じてしまう自分がいる。
完結しなくても、すでに傑作。
いつか武蔵が辿り着く場所を、私はまだ信じている。
バガボンドは現在、読み放題サービスの対象外だ。
それでも読む価値がある作品は、買って手元に置く。
全巻セットは漫画全巻ドットコムでまとめて手に入る。

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