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2000年以上前の奴隷書記が、現代人の自分に刺さってくる理由を、ずっと考えている。
寄生獣の作者が温め続けた「もう一つの傑作」との出会い
最初に手に取ったのは、大学生のころだった。
きっかけは単純で、『寄生獣』が好きで、その作者の新作を探していた。それだけだった。
だが1巻を読み終えたとき、これは長くつき合う作品になると直感した。
紀元前のギリシア世界を舞台に、アレクサンドロス大王の書記官として名を残すエウメネスを描く歴史漫画。
そういう説明では何も伝わらない気がして、ずっと人に勧めにくかった作品でもある。
今あらためて取り上げたいのは、2024年にようやく12巻が刊行され、さらにアニメ化も発表されたからだ。この作品を語るなら、今しかないと思った。
作品概要
舞台は紀元前4世紀のギリシア・マケドニア周辺。主人公エウメネスは、スキタイ人の血を引きながらも、ギリシア人養父母のもとでカルディアの都市文化と知的教養の中で育った青年だ。
物語は彼が少年期に経験する喪失と流転から始まり、奴隷として売られ、様々な主人のもとを転々としながら、その観察眼と機転と胆力で少しずつ頭角を現していく過程を描く。やがてマケドニア王フィリッポス2世の宮廷へと至り、若きアレクサンドロスと交わるようになっていく。
2003年から月刊アフタヌーンで連載が続いており、既刊は12巻。文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と手塚治虫文化賞マンガ大賞という、漫画界の最高峰とも言える賞を両方受賞している作品だ。
歴史的に実在した人物を主軸にしながら、岩明均が独自の解釈と構造でゼロから積み上げた、他の追随を許さない人間ドラマである。
エウメネスは「賢い」のではなく、「正確」なのだ
エウメネスという人物の面白さは、いわゆる「策士」や「天才」とは根本的に異なるところにある。
彼はどんな局面でも、感情より先に状況の構造を読む。どこに権力があり、何が相手にとっての利益で、この場で自分が使えるカードは何か。それを粛々と洗い出す。
序盤、まだ奴隷身分だったころのエウメネスが、市場で初対面の人間に話しかけ、わずか数分のやり取りでその人物の立場と目的と弱点を見抜いてしまう場面がある。特別なセリフがあるわけではない。
ただ相手の言葉を一つひとつ拾い、反応の速度と温度で測っていく。
その「方法」が淡々と描かれる。
岩明均はこの主人公に、過剰な感情移入を許さない。読者はエウメネスを「すごい」と思いながら、どこかひんやりしたものを感じる。
それが正直なキャラクター造形だと思う。
歴史の「隙間」に生きた人間を描くこと
ヒストリエが際立つのは、アレクサンドロス大王を主役にしなかった点だ。
世界史に名を刻む英雄の「書記官」として歴史に記録されたエウメネスは、言い換えれば、英雄の物語の外側にいた人間だ。大きな歴史の動きに巻き込まれながら、それでも自分の論理で生き延びようとする人間の話。
それがこの作品の本質だと思っている。
フィリッポス2世が登場してからの物語の引力は別格だ。
単なる策謀家としてではなく、欲望と現実認識と矛盾を同時に抱えた人間として描かれるフィリッポスは、歴史漫画の登場人物としては異例の厚みを持つ。エウメネスとの丁々発止のやり取りには、どちらが上位かわからない緊張感がある。
権力の中枢にいる人間が何を考え、何を恐れているか。
それを書記官=「記録する側」の視点から描くことで、歴史そのものの見え方が変わる。
「未完」という現実と、それでも読む理由
率直に言う。この作品は、まだ完結していない。
2003年の連載開始から20年以上が経ち、現在12巻。長期の休載を繰り返しながら、それでも作者は「完結を目指す」と繰り返している。不安がないと言えば嘘になる。
だが、そのこと自体がこの作品の誠実さの証明でもあると思う。
岩明均は、ヒストリエをデビュー前から構想していたと公式に語っている。それだけの時間をかけて積み上げてきた物語を、簡単に畳むつもりはないということだ。
完結を待ちながら読む漫画、というのがある。ヒストリエはその筆頭だ。待つこと自体が、この作品との関係の一部になっている。
「方法」としての人間が、時代を超える
エウメネスが現代の読者に刺さるのは、彼が「英雄ではないから生き延びた」人間だからだと思う。
大きな物語の主役でなくても、記録に残る側でなくても、自分の頭で状況を測り、手持ちのもので戦い続けることができる。そういう生き方の輪郭を、2000年以上前の書記官を通じて描いている。
歴史漫画を超えている、という言い方をしたくなるが、それよりも「岩明均が長年かけて描いてきたテーマの到達点」と言う方が正確だ。寄生獣が「他者との共存」を問うたとすれば、ヒストリエは「個人が時代の中でどう生き残るか」を問い続けている。
その問いに、まだ答えは出ていない。だから読み続けている。
あのひんやりした読後感が、今もそのままある
大学生のころに感じた、あのひんやりとした読後感は、12巻を読んだ今も変わらない。
感動とは少し違う。でも確かに何かが残る。エウメネスという「方法」が、ページを閉じた後も頭の中で動き続けている感覚だ。
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